日々の歩み

2005年12月2日
おしゃべりな書面

 「司法のしゃべりすぎ」という本を出された裁判官が、ご自身でシンプルで短い判決文の起案を実践していたところ、最高裁より「判決文が短すぎる」ということで、減点の評価を受けていた、というニュースがありました。

 私は、不勉強にして、この「司法のしゃべりすぎ」を読んでいないのですが、要するに、判決においては、結論を導き出すのに必要なことを明快に理由として書くべきであって、蛇足は必要がない、ということのようです。

 確かに、そのとおり、だとは思うのです。

 一方、減点の理由としては「判決理由が短すぎると、当事者が裁判を受けた気にならない。」ということだそう。

 ここでは、そのような理由による減点が妥当かどうか、という点には触れずにおきますが、確かに「判決理由が短すぎると、当事者の納得が得にくい」という部分は、あるのだと思います。

 裁判官が判決を書くのは、双方の代理人弁護士がさんざん書面のやりとりをした後のことになります。

 双方の主張は、この弁護士の書面にあらわれます。しかし、私が見る限り、弁護士は、なるべく当事者の「気持ち」も汲み取ろうとするして、主張をシンプルに展開する書面ではなく、それこそ、裁判的には「蛇足」であろうことまで書面として提出する傾向にあるのです。

 当事者の方にとっては、裁判で言いたいことはたくさん、たくさんある。

 一方で、私たちは、司法研修所で、「要件事実」というものを学び、裁判における争点を簡潔に要領よく明確に浮かび上がらせるよう、指導されてくるわけです。

 とすると、なるべく争点とは直接関係してこない部分は割愛するべきなのでしょうが、弁護士的には、やはり当事者の気持ちを裁判所にわかってほしい、と思い、裁判官からみれば「冗長」とも思えるような書面を書くことが多いのではないでしょうか?

 そのような弁護士の熱い思い(?)がこめられた大量の書面を前に、裁判官は判決を書くのですから、やはり感情の部分にも配慮した判決文を書いてしまうことになるのではないか、と思ったりするのです。

 確かに、判決文は、簡単明瞭がいいのですが、当事者としては、判決文が短いのでガックリする人はいても、長すぎてガッカリする人は、たぶんあまりいないんじゃないのかな?

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