- 2024年9月13日
- もやモ屋(NHK・Eテレ)
タイトルは、たまたまEテレをつけていたら、やっていた番組。
10分くらいの番組なので、つい最後まで見てしまった。ドラマ仕立てで、小学生の子供たちの会話で話は進んでいくのだけど、
遠くに住んでいるおばあちゃん(お父さんのお母さん)が亡くなって、お葬式に行った時の話をお友達としていて、
お父さんが泣いているを始めて見て、お葬式でも泣いたけれど、
自分はそんなに悲しくなくて、泣けなかった、、、と話すと、
それって冷たくない? 私なら泣いてしまう。
と友達が返すのです。それを周りで聞いていたクラスの男の子たちが、
何だよ、おばあちゃんが死んだら、泣かなくちゃいけないっていうキマリでもあるのかよ~と混ぜ返す、、、みたいな会話が続いて、
その次は、ペットの死に話は展開して・・・という感じの番組。
Eテレだから、小学生向けの道徳番組的なものかな~? と見て見たら、
「もやモ屋」という番組なんだそうです。なるほど~。
「泣かなくちゃいけないっていうキマリでもあるのかよ。」って言った男の子言葉に、一番、引っ掛かりがあって、つらつら考えたのですが、
そういえば、感情的な部分について、
そういう何らかのキマリ的なものがある人もいて、
そういう人は、泣かなくちゃいけない、と思っていて、もし、泣けないとそういう自分に罪悪感を覚えたりするのかも。
ということを考えたのでした。
仕事をしていて、
離婚問題で、割と、(離婚そのものについての)解決が難航するのが、どちらかの配偶者が信心深い方だったりした、という経験もあり。
宗教って、そういう感情的な問題が大きい部分を、型にはめて教義にしているところがあって、ある意味、「キマリ」を作っている。
その「キマリ」に従って人が心を動かすことで、必然的に、宗教の目指す「良い人」になっていける、という仕組みだと思うので、
キマリを自分で決めなくても良い、という楽さがある一方で、
自分の感情と、キマリとの間に齟齬が生じたときの葛藤もありそうです。朝から、そんなことを私がもやもや考えた、「もやモ屋」なので、
確かにこのタイトルは,、言い得て妙かも!!