日々の歩み

2012年6月1日
高嶋夫妻(特に奥様)が真に求める結論

 そろそろ、ブログでも離婚について、何か書こうかな~、と思っていたところ、今朝のニュースで、「高嶋政伸、美元夫妻、法廷で対決!」的なニュースが飛び込んできたので、これに乗っかってみようと思います。
 ちなみに、番組では、「本日、家裁ではなくて、東京地裁で本人尋問」と言ってましたが、実際は東京家庭裁判所です。
 法律が改正される前は、離婚の裁判は、他の裁判と同じく地方裁判所でやっていたのですが、今は家庭裁判所が担当することになりました。きっと、以前の知識を持っていた方のコメントだったのでしょう。
(しかし、テレビの力は恐ろしく、「あれ? また地裁になったんだっけ?!」と一瞬あせってしまいました。)

 今回の裁判では、離婚をしたい夫が、離婚をしたくない妻に対して、離婚を請求していますが、妻の側から、夫のDVを証明する音声が証拠として提出されたことが話題となりました。
 このことで、コメンテーターの方々は、「離婚したくないのに、何で、隠し録りまでして相手のことを非難するような証拠を出すのだ!」と、声をそろえて言っていました。
 すると、解説のレポーターの方は、「DVなどの離婚原因を作ったのが夫である場合、その夫は『有責配偶者(ゆうせきはいぐうしゃ)』となるため、そのような側から離婚の請求ができない、という判例があるから。」というコメントをつけて説明していました。
 確かに、一般的にそのように言われています。
 弁護士として、離婚したくない側の代理人になった場合、相手方に非がある材料があれば、積極的にそれを証拠として提出し、「離婚を認めさせない方向」へと判決を導こうとするのが、法的にはセオリーだし、ごく当然だと思います。
 しかし。
 先ほどの、コメンテーターの方々の意見というのは、ある一面で、とても正しいことだと思うのです。
 離婚をしたくない側が、離婚をしたい側の非をあげつらって、「有責配偶者」だと裁判で主張することによって得られるのは、その裁判限りでの「離婚は認められない」という結論だけの場合がほとんど。
 離婚をしたい側にとってみれば、そのようなやりとりがあった相手方と元のさやに戻ろう、ということは、ほぼないと言ってよいと思います。
 今回、美元さんは、「自分は愛しているから、別れたくない。」と言っていますが、それだけが理由なら、隠し録りをした証拠等を出して有責配偶者の主張をすることは、その場限りの判決を得るためだけものになってしまうのだろうな~、という気がしています。
 もっとも、これも当初は、調停でこの証拠を出すことによって、「裁判になったら、あなたに不利な証拠があるのだから、離婚をあきらめて。」ということだったのだと思うのですが・・・。
 一方で、「結婚」には、もう一つ、重要な意味があります。
 結婚を続けていれば、普通は、収入の高い配偶者からは「婚姻費用」というものを支払ってもらえます。
 「離婚をしたくない。」理由がそこにあるのであれば、すんなり納得がいきます。
 実際に離婚事件を扱っていても、「有責配偶者」の主張が、実効的に意味を持ってくるのは、やはり、離婚をすることによって経済的に不利益を被る側が、(愛情があるかどうかは別として・・・)配偶者という地位を守る場合に尽きる、とも言えます。
 実際に、このご夫婦の婚姻費用がどのようになっているのかはわかりません。
 もし、美元さんが、婚姻費用を満足に支払ってもらえなくとも、「愛情を持っていない。」とまで断言する夫であっても、「離婚をしない!」というのであれば、それは、もはや「信念」や「ポリシー」の世界に入ってくるので、もはや何も言えません。
 しかし、婚姻費用のため、経済基盤を守るため、ということであれば、弁護士としては、堂々と相手方の有責性をあげつらって、何としてでも離婚を阻止するよう、頑張るはずです。私も、頑張ります。
 しかし、離婚したがっている自分の配偶者が「有責配偶者」であったとしても、自分にはまだ愛情があって離婚をしたくない、という場合・・・。
 このとき、離婚をしたくない人が求める真の結論は、「離婚を棄却する判決」そのものではなく、「相手の気持ちが自分に戻ってきてくれること。」なのです。
 はっきり言ってしまうと、ここは、もはや弁護士という職業の扱う領域ではないのでしょう。
 でも、そのような希望を持っている限りは、有責配偶者である相手に対して、提出する書面や証拠等は、「相手の気持ち」が戻ってくる確率を、少しでも減らさないようにする必要はあるはずです。
 このようなニュアンスが必要なあたりが、離婚事件の持つ(言葉は悪いかもしれませんが)「醍醐味」なのだと思っています。

カテゴリー:弁護士・法律の話