- 2006年6月6日
- 共謀罪のゆくえ
ニュースやテレビで大きく取り上げられていた共謀罪、結局、さらなる審議が続く、ということになったようです。
共謀罪については、その濫用の危険性等、かなり新聞などでも紙面を割いて特集をしていました。弁護士会などでも、非常に強い論調での反対意見を出しているようです。
私も、共謀罪については非常に危険なものを感じずにはいられません。
司法試験の勉強をしている頃、刑法の重要な論点で「共謀共同正犯」というものがありました。
これは、ある犯罪の実行を共謀をした2人のうち、1人だけが犯罪行為を実行した場合、実行をしなかったもう1人も正犯として処罰できるか、という問題。
最高裁判所の判例は、いろいろな要件で縛りをかけたうえで、結局は、共謀共同正犯というものを認めています。
しかし、共謀共同正犯を認めることについては、反対意見を唱える学説が多いのも事実です。
なぜ、共謀罪に危険性を感じるか、というと、司法研修所に入ったときに、ことに刑事裁判では、刑法を使い勝手の良いほうに(=つまり、有罪にする方向性で)解釈する傾向にある、ということ印象が非常に強かったことが理由のひとつ。
たとえば、刑法を勉強するときには、「錯誤」というのが非常に重要な論点になっていました。
ところが、司法研修所では「実務に錯誤なし」などという格言(?)とともに、、実務では「錯誤」だから無罪、というような理屈は成り立たないんだよ、ということを教わりました。
刑事裁判の授業でで判決文を起案をするときも、研修所のクラスに何名かは「無罪判決」を書いたりする事案であっても、裁判官の教官によれば「こんな事件は、真っ黒(=有罪)」だという講評がなされたりしたこともありました。
学生時代に刑法を勉強しているときは、非常にその理念が大切にされて、とても慎重に法律は適用されなくてはならない、と思っていました。
ところが、実際に司法試験に合格して研修をすると、刑法については、「有罪にしやすいように解釈されている」ということが肌で感じらて、なんだか理念で勉強していた自分がとても青臭くも感じられるようなことすらありました。
共謀罪が実際に条文としてできたら、さぞかし、使い勝手の良いものになるに違いないでしょう。
共謀罪の目的は、組織的な犯罪の抑止のため、ということのようで、要件を「組織的な犯罪組織が関わっている場合」に限定する、というのが推進派の論拠ともなっているようです。
でも、実際に、この法律を使って逮捕・勾留が行われる場面を考えれば「組織的な犯罪組織が関わっていると信ずるに足りる場合」というふうに、実質的には要件が緩和されてしまう危険もありそうです。
そして、何よりも、常時人手不足を理由に、捜査機関は、犯罪被害に困っている人の告訴を受けつけたがらない、という傾向があります。
そんな捜査機関も、共謀罪等が適用されて大きな成果があげられる事件は積極的に扱うようになるような気がします。
すると、ますます多忙を理由に告訴を受け付けたがらない、という事態が予想されるわけです。
となると、やはり青臭い理念をもって、共謀罪には反対!! なのです。