日々の歩み

2014年1月8日
「そして父になる」こと

 今朝のテレビで、ある芸能人の男性が子供さんとのDNA鑑定をしたところ、親子関係がなかった、という関係をしているのを見ました。
 良く経緯を知らないのですが、その話の内容以前に、なぜそのようなお話が公になってしまっているのか・・・、ということが一番大きい疑問なのですが・・・。でもDNA鑑定について、少し書いてみます。
 DNAの鑑定書は、認知など、親子関係に関連する事案での重要な証拠として提出されます。
  「婚姻関係にある男女から生まれた子」を嫡出子、と言いますが、民法772条は、妻が婚姻中に懐胎(妊娠)した子は、夫の子である、すなわち「嫡出子」だと「推定」しています。
 ここで、「推定」という言葉の意味をみると、法的にその推定をくつがえすための「反証」をすることができる、とういこと。反証ができれば、推定は破れ、父と子の親子関係は否定されることもあります。
 現在、その反証のメインのツールが、DNA鑑定、なのです。裁判所もこの鑑定書を重視します。
 女性の場合、普通は、その子供を自分が産んだ、という事実は明らかです。ところが、父親にとって、その子供が血のつながった子供であるかどうか・・・、必ずしも明らかとは言えません。
 でも、法律では、DNA鑑定なんかして確かめなくても、結婚した男女から生まれた子供であれば、その夫婦の子供であるはず、と言っているのです。
 日本では、明治時代に制定された民法で初めて法的な「一夫一妻制」が取り入れられ、このような嫡出推定の規定も設けられました。
 しかし、民法制定の時は明治29年、もちろんDNA鑑定などは考えられない時代。
 ABO式血液型が発見されたのも1900年(明治30年)だとか。つまりは、そういう時代です。
 そして、日本の民法は、さらに時代をさかのぼってフランスやドイツというヨーロッパで制定された民法の影響を強く受けて作られました。
 民法のルーツであるヨーロッパの国々はキリスト教の教義が社会的に大きなバックグラウンドとなっていますから、法律もその影響を必然的に受けます。
 キリスト教式での結婚式で、誓いの言葉では、必ず「貞操」を誓います。
 「婚姻」は、一人の男性と一人の女性の間にかわされる神聖な契約。そして、互いに自分の配偶者だけに貞操を誓うことも、その契約の重要な一部となっています。
 神様の前で、貞操義務という神聖な契約をかわした男女であれば、その間に生まれた子供は、必然的に、その子供は夫婦の子供である(少なくとも建前上は)、と言えるわけです。
 実のところ「本当のところどうなの?」 と、それこそ「神のみぞ知る。」場合も、多々あったとは思うのですけれどね。
 いずれにしても、夫婦が結婚しているときに生まれた子供は、夫婦の子供として、愛されて保護されて養育される、という姿が望ましいのは間違いない。
 逆に考えれば、夫婦から生まれた子供が、「必然的に血縁上も夫婦の子供である。」ために、夫婦が貞操義務を負っている、という「建前」(言葉は悪いですが・・・)が、絶対に必要だったのでしょうね。
 翻って、今の時代。
 昨年の12月、最高裁で、女性から性別変更をした男性を「父」と認定し、子供を嫡出子として認める、という判決が出されました。法的には「婚姻した男女」の間に生まれた子供であるため、嫡出推定が認められた。
 この場合、DNA鑑定などをするまでもなく、父と子の間に血縁上のつながりがないことは明らかです。
 そのため、原審では、嫡出子の推定規定は「夫との性交渉でもうけた子供であることを前提にしている。」という理由で、嫡出推定を認めませんでした。
 しかし、最高裁はこれを認めた・・・。これはどういう考え方なのでしょうか?
 では、仮に、この父親が産まれながらに生物学的が男性だったとすれば・・・。
 その父親が、自分と子供との間に血縁関係がないことを確信できる状態があったとした場合。
 それでも、その父親は、子供の父親として生きていきたいし、他の家族たちも誰も父親を排除したいなどとは思っていない。みながこれからも家族として一緒に生活をしていきたい。
 そうであれば、あえて推定をくつがえす必要はないでしょう。このような事態は、たぶん、法律ができた当初から予想されていたと思います。
 もちろん、貞操義務に裏打ちされている以上、嫡出推定の根本に、「血縁関係」があることは当然です。
 でも、法律を作った人たちは、血縁関係がないからと言って、家族の誰ひとりとしてそのようなことは求めていないにもかかわらず、父親を積極的に排除する、ということなど、考えていなかったはず。
 そんなことで、今回の最高裁の判決には賛否両論あるようですが、個人的には、今回の結論は良かったなー、と、考えているのです。
 その一方で、一方、子供との血縁関係を疑わしく思い、父親であることを認めたくない、あるいは真実を知りたい男性は、非常に悩み苦しみながらもDNA鑑定という手段をとることがある。そのこで、子供との血縁関係の推定をくつがえすことが、比較的たやすくなりました。
 血液型鑑定すらなかった時代に法律を作った人たちは、こんな事態は予想もしていなかったことでしょう。
 ただ、その時代であっても、もともと父親というのは、血縁の面からすると、そういう危うい存在であったわけです。
 しかし、こんなふうに、「知りたくない真実」を、比較的容易に知ることができてしまう時代になってしまった以上、「父親になる。」ということの意味が、より問われることになるのでしょう。
 ということで、映画から拝借した記事のタイトルに(無理やり?)つなげるのでした。
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最後に、親バカでごめんなさい、我が家で産まれた子とその父犬。紛れもなく血縁関係が認められます。

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