日々の歩み

2006年7月7日
思い知らされたい欲求?

 本を読むのが好きです。
 だから、最初に入った大学は文学部だったりしたのですが、文学部での研究は、ただ本を読むのが好きなだけではすまないのだ、とつくづく思い知らされた経験もあります。
 ここ1週間で読んだのは、気になっていた「デス・ノート」(←本ではなくマンガですね)、大好きなドラマー・村上ポンタ秀一氏の「自暴自伝」、精神学者の海原純子氏の「こころの格差社会」ってところ? 
 デス・ノートは、映画化されて結構話題になっていたので、漫画喫茶に出向いて読んできましたが、途中で読むのをやめてしまいました…。なんでも、心理戦が面白い、という触れ込みらしいのですが、なんとなく行き当たりばったりな印象で、いまいち入り込めなかったからでしょう。
 それよりも「『デス・ノート』があったら、誰の名前書くぅ?」なんていうブラックな質問をする方が面白かったりします。
 そういうところで、身近な人物を挙げる人、世の中を変えたいと思ってかの国の指導者の名前を挙げる人、その人の視線がどこにあるか少しのぞけて面白い、なんて、悪趣味ですね。
 村上秀一氏の自伝は、学生時代、氏の結成したピアノ・トリオがをライブハウスで追いかけていたこともあって、とても興味深いエピソードにあふれていました(自慢話もあるけれど、それはそれで面白い)。
 ジャズが大好きで、音楽で身を立てたいなどと、身の程知らずのことを思っていて、先生に師事したけれど、「なれて三流のミュージシャン」と言われ、せめて音楽にかかわる仕事をしたいと、編集者になったのですが、この本を読むと、音楽を生業にしたいなど、本当にタワゴトだったのだ、とつくづく思い知らされるのです。
 まして、編集者時代の自分を思い出すと、本当に冷や汗をかくようなことばかりで、やはり、私にとっては音楽は聴いて楽しむもの、受け手としての自由な喜びを味わっているに限る、ということも、また思い知らされるのでした。
 「こころの格差社会」は、いわゆる「勝ち組」「負け組」についてふれてあって分析が試みられているのですが、その中で「自己実現」というのが「自分のやりたいことが他人の利益にもなっている」という意味で使われていたのが、心に残りました。
 また、いわゆる「勝ち組」は、その人が生きる社会が機能しているからこそ、努力が報われる、ということ。
 「報われない努力もあるんだよ」と言い切ってしまって、「それが現実なのだ」子供に教える、という方法もあるのかもしれないけれど、報われない人の「無念さ」を共感する力を持つことが大切、ということも、感じるものがありました。
 こうして、本を読むことで、私の「思い知らされたい欲求」は満たされるのです。
 あと、余談ですが、最近「スポイルする」という言葉が「仲間はずれにされる」とか、「排除される」というような意味でつかわれている文脈を多く目にしたのですが、これは、「甘やかしてだめにする」という意味のはず…(一応、辞書でも確認してみました)。
 最近は、そのような使い方が慣用化されているのでしょうか? 知りたいです。

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