- 2013年12月29日
- ある「祈り」の話
今年ももうすぐ終わりですね。
事務所の真向かいにある出雲大社東京分祠(写真)は、1年間を通じてかなりの賑わいでした。お正月に向けての準備で大忙しの様子です。
私は特に特定の宗教の信者、というわけではないのですが、宗教の教義には興味があります。
まあ、中学や高校で習った知識レベル、あとは、新聞やテレビなどでとりあげられている記事などに好んで目を通したりとか、その程度なのですが。
宗教は、人間が、人生をどうやったらより良く、また意味のあるものにできるのか、を考え抜いた英知の結晶だと思うし、「いかにこの大変な人生を、【生き易く】するか。」、の答えを求めての知恵の集積でもあると思うので、つい、知りたいし、頼ってしまいたくなるのです。
かといって、私は特に真面目に宗教に帰依していたわけでもありません。
振りかえれば・・・
小学校の頃。
クリスチャン一家の仲良しのお友達に誘われて、近所の日曜学校に毎週通っていた。聖書なども読んだり、夜は暗記していたお祈りを欠かさず・・・でも、意味は良くわかっていなくて、お祈りをする自分がなんとなくかっこいいと思っていたから。
高校生の頃。
修学旅行で行った京都の神社仏閣めぐりがあまりにも楽しく、もう一度、高校3年の夏休みに京都に一人旅をした・・・でも、神道や仏教への興味、というより、神社仏閣の持つ、荘厳な美しさにひかれたから。
大学生の頃
法学部で、大学の教授の多くがクリスチャンで、聖書を読む会なども盛んだったことに驚く・・・しかし、結局、そのような勉強会にまでは入って行かず。
つまり、結局、美味しいところだけつまみ食いの、単なるファッション宗教好き、だったのでした。
さて、長々と書いてきましたが、なぜこのような話か、と言うと、ある「祈り」について紹介したかったからです。
いろいろと参考にしたいことがあって、最近読んだのですが、その中で、「平安の祈り」 というのがあるのを知りました。それが、とても良いのです。
神様、私にお与えください
変えられないものを受け入れる平安を
変えられるものを変える勇気を
そして、この二つを見分ける賢さを
非常に励まされ、そして指針にもなる祈りだと思ったのでした。
来年は、もう少し賢くなれると良いな・・・と心底願いつつ。
良い年をお迎えください。
カテゴリー:日々の雑記