日々の歩み

2013年2月7日
私が「陳述書」好きになった理由

 裁判がいよいよ大詰めになってくると、裁判の本人や証人が、法廷で裁判官と面と向かって座り、弁護士や裁判官の尋問を受けるときがやってきます。
 そして、この尋問の前には、「陳述書」というものが提出されます。
 つまり、当事者ご本人たちが、自分の言いたいこと、主張したいこと、自分の認識している事実関係の説明などを、自分の言葉で「陳述」した書面、ということになります。
 「陳述書」を証拠で提出すれば、当事者本人は、尋問の中で、その中に書かれた内容を、全部説明する必要がなくなり、肝心なポイントだけ話せばよくなります。これは大きな時間の節約になります。
 一方、相手方の当事者にとってみれば、自分の相手が出した陳述書を前もって読んで、疑わしいところ、おかしいと思ったところ、矛盾点等を探しだし、尋問の時間を使って突っ込むための準備ができるわけです。
 先ほど、「自分の言葉で」と書きましたが、この陳述書の実際は、依頼者の方のお話を弁護士がまとめあげた形式が多いのではないかと思います。
 そして、私は、この「陳述書」を書くのが結構得意(好き?)です。
 ドラマや映画でもそうですが、誰もが納得の行く筋書き・・・というものがあります。
 
 陳述書もまったく同じで、誰もが(もちろん裁判官を含む)納得の行く自然な流れ、筋書き、というのがとても大事です。ですから、そのことを意識して作成するようにしています。
 この陳述書を書いていると、依頼者のお話を材料にして小説を書いているような気持になってきたりもします。私からすれば、どんな方の陳述書でも、一つの物語です。
 唐突だったり、一見理不尽だと思えることも、なぜそのようなことをしたのか、ということを説明できるように。
 こうして、陳述書を提出し、尋問を終え、いよいよ判決とあいなります。
 勝訴すれば、それはもちろんとてもうれしいこと。
 さらに、勝訴した判決文を読んで、裁判官が、私の書いた陳述書の内容をたくさん引用してくれていたり、私が思い描いたストーリーにぴったりの事実認定をした判決を書いてくれたとき、は、「やった!」という気持ちになります。
 
 なので、陳述書を書くためには、一つの物語を作り上げられる材料が得られるくらいに、依頼者の方お話を聴くことが大事だと思っています。
 私は、もともとそういう作業が好きだったので、必然的に、労働事件や離婚事件など、人間関係や、お互いの感情面が表に出てくる事件を、積極的に扱うようになったのかもしれません。
 単なる趣味・・・?(笑) 言ってみれば「好み」の問題でしょうか。
 そういえば、人間の「感情」に興味を持ち始めたのは、20年以上前のことです。
 弁護士になるずっと前、法学部の学生の頃、「アドラー心理学」というものを紹介されて、本を読んだり、アドラーを日本で広めた野田俊作先生の初級セミナーを受けたり、また、オープン・カウンセリングに参加したこともありました。。
 今では、教育現場等でかなり知られている心理学だと思うのですが、そのときに教わったのが、「人間が相手に対して感情を使うのには目的がある。」ということでした。
 つまり、子供が母親に泣いて感情を爆発させるのに対処するとき、「子供がなぜ泣いたのか。」という「原因」ではなく、「子供は泣くことでどのような目的を実現させようとしているのか。」という、その「目的」を考えることで、子供に対してどのような対処をするべきか、という考え方なのです。
 その当時、目からウロコの発想でした。それで、俄然「感情」に興味を持ったわけです。
 そして、あとひとつ、アドラーの基本的な考え方に「勇気づけ」というものがあります。
 これも、弁護士になって、いろいろな方と接するうえで、自分の指針の一つになっているものでもあります。
 
 とても実現するのは難しいことなのですが・・・・。
 陳述書の話からとりとめがなくなりましたが、結局、弁護士になる前から、人の感情のあり方についてなんとなく興味を持っていて、それが今の陳述書好きにつながっている、というお話でした。
_SS500_

カテゴリー:弁護士・法律の話