- 2006年8月30日
- 靖国神社と天皇陛下
昭和天皇メモに、小泉首相の参拝の参拝など、いろいろあって夏も終わりに近づいています。
今年の靖国神社は、例年以上に熱かったようです。
昭和天皇の参拝についてのメモが出てから、「天皇陛下がきちんとお参りするようにするのが政治家の仕事」という談話などもいくつか出ていました。
この件について私は確固たる信念を持っていません。
たまたま、祖父母は天皇陛下のことが好きで、毎年お正月には皇居に行っていたらしいこと、父親もやはり天皇陛下のことが好きだった(小さい頃には国民の祝日にはちゃんと日の丸を玄関に立ててた遠い記憶があります)こともあるので、どちらかというと、そういう感覚は受け継がれているかもしれません。
司法試験の勉強を始めたとき、憲法を習います。すると、前文のあと、第1条で「天皇は、日本国の象徴であり・・・」という条文が出て来ます。
法律を勉強してまもなく、その条文を勉強しているときに思い出だしたのは、やはり、子供の頃、父親から聞いた言葉でした。
「国の中で、総理大臣が1番偉いんじゃなくて、政治家が頭をきちんと下げる天皇がいらっしゃる、という、そのことが重要」というようなことでした。
良く考えれば、父はあまり一般的に政治家という人たちを好きではなかったから、そういうことを言ったのかもしれないけれど(笑)。
子供の頃に抱いたそういう印象というのは、成長するにつれていろいろな文献を読んだり、教わったりしても、この身に染み付いているものなのかもしれません。
しかも、高校生くらいになるまで、学校の授業では「戦争放棄をしている日本国憲法はすばらしい」と教わり続け、なんとなく「戦争はもう絶対起こらないんだ」と幸せにも信じていた、なんとも平和な子供時代だったわけです。
そして、私の中で、戦争は、東京大空襲に遭遇した母親の経験談(B29の操縦士と目が合うくらい低空を飛んで来たのだとか…)を通じて形成されたのでした。
同じように、韓国や中国の人たちも、それぞれにそれぞれの教育を受けて、いろいろな考え方を持って、今に至っているのです。
だから、靖国神社に首相が参拝したことについて、反発をする中国や韓国に対して、「なぜ、そんなに反対するのか?」という反発も抱かないし、「首相、良くやった!」とも特段思わない、といったところでしょうか。
被害者は、自分の受けた被害を、その子や孫に伝えようとする。
加害者は、自分のしたことを、できるだけその子や孫には伝えないようにする。人間の性なのです。
ガンジーは、子供をイスラム教徒に殺されたヒンズー教徒の男性から、「イスラム教徒が憎くて殺したくてたまらない。どうしたらいいのか。」と言われ、「父親をヒンズー教徒に殺されたイスラム教徒の子供を引き取りなさい。そして育てなさい。」と言ったそうです。
なんかヒントがあるような気がしているのですが、なかなか難しくて見つけらていません。まだまだ考えなければ…。
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